現実からの逃避旅行記

気の向くままに

Report 1

その日、私は産まれた。

目を見開いた時、周りの大人が妙に騒いでいたことを僅かに覚えている。

3歳になってからその理由を知った。

透き通るような白髪に、色の違う左右の目。

左の藍色は天を、右の黄色は地を象徴するらしい。

物心ついた頃には、私は「神」と呼ばれていた。

この世界で唯一、すべての権限を持つ者。国の行政、経済、文明研究、ひいては人の生き死にまで「神」の一存で決めることができる。

そんな私を大人達が見逃す筈もなく、私を利用するための利権争奪戦が行われた。

生まれて20日で産みの実母が撲殺され、それから3日で実父が斬殺された。私を保護した祖母は1年で毒殺され、祖父は自らの命を守るために聖教会へと私を受け渡した。

その後、私は「神」としての英才教育を受けた。2歳になる頃にはすべての文字を操り、数字の計算もお手の物。

3歳になる頃には立ち居振る舞いを矯正し、「奇跡」の使い方も教え込まれた。

そして、6歳の誕生日。その頃になると、私は自らが「神であるのだ」と認識させられていた。

 


気付いた時には、私は草原で倒れていた。

「おい、大丈夫か?…おい!」

「きゃっ」

私は反射的に後退りしていた。

声をかけてくれていたのは、私とさほど変わらない歳の、頭から布を被り、紐で結んだだけという貧相な形をした獣人だった。

私は理解に戸惑った。なぜ私の目の前に獣人がいるのか、そもそもここがどこなのか、何故こんなところに居るのか。

「お前、もしかして…」

「やめろ!近付くな!!」

一瞬、眩い光が辺りを包み込んだかと思えば次の瞬間には、彼は突き飛ばされたように尻餅をついていた。「なにが起こったのかわからない」そんな彼の表情から目を逸らせなかった。彼は、スッとその場に立ち上がるとこちらに歩いてくる。

「す、すまない…助けようと手を差し伸べてくれたことには感謝する。しかしー」

「お前、塀の中の神様とかいうやつだろ?」

私の言葉を遮って、彼は言った。

「えっ?」

「その白い髪に、左右の目。こっちにだって話くらいきてる」

お前みたいなのが神様なのかよ。

そんな言葉が聞こえた気がした。

「今…」

「なんでもねぇよ」

そう言うと、彼は自分の服を脱ぎ、私の頭に被せた。

「脚の怪我、治療するから村に行くぞ」

私は、そんな彼の言葉に言われるがまま歩いた。

今私がどこへ向かっているのか、どの方角に歩いているのか、それすらも分からない。ただ、彼について行くことしかできなかった。


村につくと、そこには沢山の獣人が暮らしていた。木造の家、田畑、高台の上の風見鶏、私の知らない世界。

獣人は悪魔の化身だと教えられていた筈なのに、ここに暮らす獣人たちは普通の人間と変わらない。むしろ、私の知っているそれよりもはるかに温かく、居心地がいい。

すれ違う者たちの表情が、風の温度が、街の匂いが、生活の音が、全てが柔らかい。

「その服、絶対に脱ぐなよ」

「何故?」

「いいから、とりあえず言うこと聞いてろ」

「わかった…」

それから私は、彼に連れられて大人の獣人に手当てをしてもらい、彼の家でしばらく休むことになった。

優しい布団の温もり、陽は西に傾き、あたりは橙色を帯びていた。

「もう起きて大丈夫なのか?」

「ああ、ありがとう」

「だいぶマシな顔になったな」

「え?」

「なんだよ、自分で気付いてなかったのか? さっきまではスゲー顔してたんだぞ?」

「そう…なのか」

「別に気張んなくたっていいよ。ここは塀の外だ」

「どういう?」

「ここではお前はただの人間。神様でもなんでもねぇってことだ」

「私が…人間…」

「どうする?母ちゃんが晩飯用意してっけど、食ってくか?」

「あぁ…」

それからわたしは、初めて誰かと食事を共にした。彼はその日の出来事を笑って話し、彼の母はそれを笑って聞いていた。こんなに騒がしい食事も初めてだった。

食事が済み、わたしが帰る支度をしていると、彼の母が「泊まって行け」と言ってくれた。夜は肉食の獣が多く、一人では危険なんだそうだ。

彼は自分の部屋にもう一つ布団を敷いてくれた。わたしがそっちで寝ると言っても聞かず、わたしがベッドで寝ることになった。

「ねえ、なんでわたしを助けてくれたの?」

「なんでって…別になんででもねぇよ」

「わたしの暮らしてた場所ではね、獣人は野蛮で凶暴なんだって…そう教えられてきた」

「はぁ!?なんだよそれ!」

「だから、見つけ次第殺処分せよって」

「…俺たち獣人は、獣と同じだ。お前らの国では、心を持ち理性的な者は『神』とやらに愛された特別な存在なのかもしれねぇけど、人も獣人も結局は生き物だ。たとえ種族が違っても、持ちつ持たれつ、共存しなきゃなんねぇ」

彼はそこまで言うと、窓の外の月を見ながらこう続けた。

「さっきさ、服を脱ぐなっていったろ?実は、獣人の中にも人間をよく思わない奴らがいるんだ。俺たちの皮膚は、塀の中では高価で取引されてるらしい。そのせいで、いろんな村が襲われてる。親を殺されたやつ、子を殺されたやた、恋人を殺されたやつ。そんな奴が村にはごまんと居る。だから、人間に向かって敵意を向けるやつが出てきても不思議じゃない」

「でも、君は助けてくれた」

「獣にはな、獣のルールがあるんだ。俺たち獣は、自分の食わない奴を襲わない。襲ったって無意味だからな。俺たちが武力行使するのは、自分たちの食材になる奴か、群に敵意を向ける奴だけだ」

「ならわたしはー」

「お前は、俺たちに敵意を持ってんのか?」

「それは…」

「人間は食わねぇ。敵意もねぇ。なら、争うだけ無駄だろ?」

「うん…そうだね」

それからわたしたちは、言葉を発することはなかった。

わたしは、安心したように眠りについた。

 

 

ブォォォオオオオオ

深夜、わたしたちは大きな音に起こされた。

それは、敵襲を知らす笛の音だった。

「敵襲ー!敵襲ー!人間の軍勢だ!!」

「男どもは武器を持って戦闘に備えろ!」

「女子供は東の森へ!!」

そんな声が村に響く。

あたりが次第に騒がしくなり、わたしも彼らと共に東の森へ向かっていた。

 

どれくらい時間が経ったのだろうか?西の方角はまだ夜中だというのに赤く染まっている。周りの子供たちは怯え、女の人が子供をあやす。昼ごろの温もりはなく、みんな恐怖に冷めきっている。

村を襲ったのは恐らく塀の中の人間だ。

「おい、どこ行くんだよ?」

彼がわたしの腕を掴んだ。自分でも気づかないうちにわたしは村へ向かおうとしていたらしい。

「わたしなら、止められるかもしれない」

「ダメだ。止める前に巻き込まれたらどおするんだ?」

「でもっー」

「『でも』じゃねぇ!死んだらどおするんだよ!」

「大丈夫だよ」

「大丈夫じゃねぇんだよ!生き物ってのは簡単に死んじまうんだ。俺はもう、大事な誰かが殺されるとこなんて見たくねぇんだよ…だから、行かないでくれよ。俺たち友達だろ?」

その時初めて理解した。

そうだ。彼は…彼の言葉は…

「うん。友達だよ。だからこそ」

だからこそ止めなければいけない。友達と言ってくれた彼の為に。私をわたしとして受け入れてくれた人たちのために。

大丈夫。だってわたしはー

「だって私は、神様だから」

 

 

周りの目が痛かった。わかっていてもやっぱり辛い。

「やっぱり、みんなの前であの服脱ぐのは不味かったかな?」

「当たり前だろ?だから注意してたのに」

あの後、わたしは被っていた服を盛大に脱ぎ去ったのだが、やはり今襲って来ている敵の親玉みたいのが急に現れたことにみんなが戸惑っていた。居た堪れなくなりながら村の方へ戻る私に彼はついて来てくれたのだ。

「向こうに残っててくれて良かったのに」

「バカだろお前。あんな所に居たら、俺がドヤされちまう」

わたしたちは走りながら、この戦闘を止める方法を話し合った。

「いいか?高台までは俺が先導する。それまでは絶対に俺から離れるな」

作戦はこうだ。

地理に詳しい彼が先導し、高台まで隠れながら進む。高台に着いたら、彼は周りの人間を引きつけながら逃げ、わたしが上まで登る。そこで武装解除を叫ぶ。

と、至って簡単なものだ。

「いいか?簡単に思うかもしれないが、戦闘中の中に突っ込むんだ。少しでも危険を感じたら逃げることを最優先しろ。頼むから死んでくれるな」

「うん。ありがとね」

それから森を抜け、火の海と化した村に入った。

家が焼け、田畑が踏み荒らされ、あの優しい光景の見る影はない。負傷した兵士の焼けただれた肌、炎の暑さ、燃える木と鉄の匂い、人々の呻きと剣の交わる金属音、昼間の光景とはまるで別世界のようだ。

どうして…何のために…そんな事を考えながら、わたしたちは走る。

高台に着くと、彼は近くの兵士に石をぶつけて逃げていく。そんな彼を追うように人は居なくなり、わたしは急いで梯子を駆け上がった。

ー我、ここに伝えんとする。

我が祈りを糧にし、我が声を響かせたもうー

「私は神なり!武装解除せよ!!」

奇跡の力で何十倍にも膨れ上がった私の声は、村中に響いた。そして、一人、また一人と剣を下ろす。

よかった…止まってくれた…

「逃げろ!!!」

彼の声。

しかし、その言葉が聞こえた時には遅かった。高台は火矢の総攻撃を受け炎上し、わたしの足元は大きく崩れていった。

「おい!大丈夫か!?」

彼が必死に声をかけてくれてる。わたしを心配してくれている。不安にしちゃダメなんだ。たった一人の友達を。

「大丈、夫…わた、しは大丈夫、だから…そんな顔、しないで?…困ったときは…神、様が…助けて、くれるんだって…あれ…?神様って…わたしだっけ?…」

「信じねぇ…信じねぇぞ!!俺は神様なんて信じねぇ。もし、ほんとにそんな奴がいるとしたら、なんでお前がそんな顔してんだよ!!なんでお前が…そんな苦しそうにしてんだよ!!」

ああ、この子はわたしをただの生き物としてみてくれている。

神であることを強要され、わたしの意志を無視されていた塀の中とは違う。

わたしはきっと、この温もりとこの言葉を望んで塀の外へ出たんだろう。

「おやおや、これは珍しいこともあるもんですな」

第一司祭の声がした。

両親を、祖父母を地獄へ誘った男…

「ガジュ司祭…」

「よもや神様がここにいらしていたなんて…何、そんなに怖い顔をしなくても。増えた害獣を駆除しに来ただけですから」

「害獣…だと…?」

彼の毛が逆立っているのがわかる。

優しく抱きかかえてくれていた腕が熱を持ち、震えている。

「神に愛された我々人間に、何の利益ももたらさない獣など、この世界には必要ありませんからね。そもそも、我々が許した数を超えて棲息していること自体が、神への侮辱だというのに…」

「こいつが…そう望んでるってのかよ?…」

「いえ?我々を捨て、獣程度と仲良くしているような小娘はー」

ズドンッ

「…矢?」

「『神様』でも何でもありませんよ」

「お前…」

「さて、我々のような高貴な種族に詐欺を働いた不成者も成敗できましたし、残りの毛皮をどうにかしましょうか」

「これが…これが貴様らのやり方かぁぁぁあああああ!!!」

 

 


「はっ」

明かりの消えた部屋、腕の中には何故か犬のぬいぐるみを抱いていた。

パソコンの明かりだけが煌々としている。

時計は深夜1時を指す。

「夢か…」

僕はどうやら夢を見ていたらしい。

動悸が激しい。いやにリアルな夢だった。

「また徹夜か…」

喉が乾いていた僕は、コンビニで飲み物を調達するため、深夜の新宿に足を踏み出した。